昭和44年01月31日 夜の御理解



 今朝から朝の御祈念の後に席に着いた所へ、丁度これの野口さんがお参りして見えられて、今日は一番のバスでお参りさせて頂きたいと思うて、ちょっとあの丁度出掛けよる所へ、主人が起きて見えたものですから、お茶の一つ位入れてあげなければと思うて、茶を一服をもういいと言われるけれどお茶をあげよったから、遅うなったとこう言う訳です。それでまぁ走って二番目の合楽行きにもこりゃ間に合わないかも知れんと思うて走って来た所がすぐ合楽行きが来た。その合楽行きへ乗せて頂いて。
 所がその合楽行きがちょっと遅れて来とった訳ですね。そして一番の日田行きのあのバスを追い越して、そして一番に合楽に着いたという訳なんですね、結局一番のバスよりも早く着いたというのです。もう私あのうこのう正月一月ひと月の事を振り返らせて頂いてから、もう私共は本当に信心もまぁボトボトながらですね。まぁ本当にまぁいうなら一番におかげを受けたとこのひと月でございましたと、もう本当にこの一年間の例えば苦労というもの、このひと月にさせて頂いたように。
 この月ばかりは様々の事があったと言うのです。本当に容易ならない問題ばっかりでした。けれども本当にあの年頭に頂いておる「より明るくよりにこやかに」という、これがこのひと月をいよいよ支えて来た。ややもすると暗くなる。ややもするとにこやかどころか、本当にまぁ腹立ちの形相ものすごいその形相にでもなりかねない様な事が次々とあった。私もお取り次ぎをさせて頂いてそれを感じた。本当にひと月の間に次々ともう息つく暇もなかったですねと言う位にあった。
 けれどもそのひと月を締め括って見てから、思わせて頂く事は本当におかげを頂いて有り難かった。信心を頂いておる事が有り難い。もし信心が無かったらというお届けがありよりましたらね、御心眼にね。あのう二人で荷物を担っておるところを頂くんですね。して後の方の人が荷物をほんの自分の足に掛かる位に手前の所に、前の人は先の方を担いでおる人は。その人はまぁ少し力がかからんように、それでもやはり前の人は力が弱いからそれもやっとかっとじゃったろうだけれどもです。
 後の人がほとんど重荷を担いでおるところを頂いた。野口さん大変なひと月だつたと言いよるけれども、もし本気にこれ信心がなかったら、もう本当にへこたれておっただろう。この問題はもう破裂して居おったに違いはない。この事はこういう事になっておったに違いないという様なところを、まぁ通らせて頂いたということ。勿論後の方を担いで下さるのは金光大神かもしれない。お取次ぎを頂いて信心の稽古をさせて頂くということはそういうことなんだ。ですからどうしても金光大神お取次ぎの働きと。
 私共の信心とがなら相またなければ、どちらにしてもいけない事が分かります。まぁ野口さんそういう様な大変なひと月であったおかげでです。いよいよひと月をまぁ締め括った時に、有り難いという事になつて、そりゃもう今日の御理解のそれじゃったがねと言うてまぁ話した事ですけれどもね、本当に人月締め括って見て、今月も大変な月でございましたけれども、いうなら正月早々大変な事がありましたけれども、おかげを頂いてここに締め括ってのお礼が出来たという事。
 おかげでいわば大晦日の気持ちで、今朝の御理解がそうでしたね。日々をね元日の気持ちで過ごそうとこう思う前に、先ず締め括りの日々をですね、おかげを頂いての今日一日であったとして、大晦日の気持ちが頂けれるような、おかげを頂かしてもらうところに、一日のいうなら元日の気持ちでと言うのが約束されるのである。それが例えば日々というのが今朝の御理解でしたけれどもね。今日は皆んなお礼に出て見える方が、そういうような感じでした。
 もう本当に一日を締め括って見て、今日もおかげを広大なおかげを頂きまして有り難うございましたとね。もう今日の御理解を頂いてから、朝の御理解を頂いてから思わせて頂くことですと、又ここへ出て見えてお礼を言われるのです。高い山に登ると高い山でなければ生えない、いわゆる高山植物と言うものがある。信心も段々信心の信心の坂を登って行くとです。もうそれこそここまで登らなければ分からない信心の境地がある。それを一月の事を思うて見ましたらね。
 本当に元旦の年頭に頂きましたいわゆる、明るくとかにこやかにということがです。もう簡単な事のようであって、取り組んでいない事に驚いた。然も取り組むと又こんなにも難しい。難しいけれどもこんなにも楽しくて有り難いということが、分からせて頂いとります。今まで気が付かなかったところへ、こんな植物がある事が分かるところまで、ひと月の間に信心を高めさせて頂いた事になるのですと話した事です。本当にそうです。もう日々がですね。
 もうこのように間違いの無いお取次ぎの働きの中に、お互いおかげを頂いておる。今日もちょうど熊谷さん野口さん波多野さんちゅうとが、そうそう今日繁雄さんに茶道具を出してもらおうと思い出したから、行ったらもう帰っとかにゃならん時間なのに、まぁだおんなさるとこう言う。そこでほんならあのう出しといて、あの代えといて下さいと言うて。ところがその分からなかったので、立たせて頂いたついでにあの洋間から庭を見せて頂き、お茶を一服頂きながら三人四人五人ですね私と、色々話しておるう中に、波多野さんと熊谷さんが代わり代わりに言われるのです。
 本当にもう天衣無縫ということをいつも親先生がおっしゃるが、ならここの場合の天衣無縫というのは、本当の意味での天衣無縫。もう本当にこういうおかげを目の当りに見せて頂いて、信心の稽古が出来るということが、何んと有り難いとこに御縁を頂いたじゃろうと思うと言われるから、ほんなこっちゃね私もそげんを思うて、こういう例えば雰囲気の中に、こういうおかげのハッキリした中にですね、このおかげを見せて頂きながら、手本を見せて頂きながら。
 信心の稽古をされるということは、本当に皆んなにこの事を教えてやりたい、宣伝してでも回りたいような気がするけれども、余りにも例えばそういう一分一厘の間違いのない働きであるためにです。却って真実性を欠ぐ感じ。聞きよる方がほんな事ちゃあるじゃろうかというふうでしか聞かんとこういう。だから佐田さん熊谷さんもそれをもう本当に例えば、自分の娘であっても息子であっても、そげないわゆる真実性を疑うような感じですから、もういわん事にして。
 もう自分達が有り難いと思うとると言う話があったんですけれども、もう事実そうなんですよね。例えば今日も実は、あのう一番月末今日何時も銀行から集金にやってくるんですけれども、昨日は昨日やって来てるんです。だから今日の事は私うっかりして、全部支払いしてしまったんです。はぁドッコイ月末の支払いがあったのにと思ったけれども、まぁ神様の御都合だろうと思うてお願いさせて頂いた。ちょうど久富さんが残って居られましたから、久富さんと一緒に御初穂の整理をさせて頂いてから。
 「あぁなたこりゃまぁだ幾ら幾ら足らん。今日支払いをしなきゃならんのに、まぁとにかくこりゃほんなら四時に私が下がらせて、四時のお礼までにゃおかげ頂いとかにゃならん」と言うて私は今日昼三時半のここに座らせて頂いた。で御祈念前にほんならそちらの御初穂もこちらのも整理させて頂いたり、それでもやっぱりその金額が足りない。「あぁたこりゃいよいよ足らじゃったねって。」あの久富先生と後から話した事ですけれどもね。こうこうじゃったよ今日。
 けれどもねこれを話たって、もうやっぱ真実ほんなこてなかろうごたる感じがする。そしたら後二分か三分ちゅう時にです。「あぁ親先生がおって頂いてよかった」と言うてバタバタ入って来た。遠方から参って来た方がですね、一月部分御礼参拝ができなさあったんですよ。そしてちょうど私達の足りないと言うだけのお初穂。大体この今日一日でなら月末、例えば今日の支払いの分が有るはず普通はないです。こんなにも久富先生間違いがないもんねって。
 間違いがないけれどもこんなにも間違いがないと言うてもです。皆んなに通用しない場合がある。あんまりに間違いがない。ほんな事間違うた方が人にゃその実感として伝わる様な感じ。そう言うお働きのおかげを受けておるという事もですね。私の信心じゃない。金光大神が重いところは取次ぎの働きがです、担うておって下さるから私共は軽うて済むのである。これは野口さんの場合なんかは、それが又言えるだろうと思うのです。野口さんの信心も一生懸命だったけれども、それはお取次ぎを頂いて一生懸命。
 もし信心がなかつたら、とても持ち上げも切らない重い事であった。いうならへこたれてしまわなければならん程の難しい事であったけれどもね、半分どころか殆どの重みを金光大神がね担いでおって下さるから、今月もおかげを頂いていうならば締めくくりが出来て、いわば大晦日の心になれる事が出来た。おかげで二月は又一日から生き生きと、それこそ元旦の気持ちで、おかげで二月一日を迎える事が出来るねとこう、いうようなおかげになって来る訳でございます。
 そういうお互い働きの中におかげを受けてお居る。今日もう私が下がらせて頂いて二時か三時頃だったでしょうか、桜井先生がヒョッコリやって見えて、仕事の方がきりがつきましたから、それでもう御神米がなくなっておるころだろうかといわれ、御神米の奉仕に見えられる。そいで私は皆んな修行生の方達にもう遅くからでしたから、もう御神前を明日のお月次際の準備があるし、バタバタして居りましたけれども、誰か助手であのうおかげ頂きゃいいからというけれども、誰ぁれも御用頂いていない。
 だからお風呂に入る時でした。「先生はどげんですか」と言うたら、「それがまぁだ一生懸命共励殿でやりよんなさいますという」。「はぁれぇにえらいそれが今度は千体折っちゃるそうですけん、ぞの千体にこの御神米を入れりょんなさる所でございます」と言う。ならそれを聞かせて頂いてから、もう誰もお手伝いをしなさらんなと言いたい思いでした。だからもう申しませんでした。そりゃもういきなりなら早うお手伝い。例えていうならばですね。あぁいう遅い時間から。
 どうでも今日は千体の御神米を作成させて頂こうとする、例えば桜井先生の一念がです、もう誰も煩わしたくない神様がね、桜井一人におかげ頂かせたいというそんな感じでした。だからもうねあのう今頃から行ってバタバタと、お手伝いさせて頂くよりも、そういう一念とそういう思いを込めて御神米を作成して下さったがいいし、又神様の願いもそこにあったとね。ですからまぁ恐らくもう済まれたのか、今晩遅くまで掛られたか知れませんけれども。その一念を貫くという所にですね。
 私は信心があると思うんですね。一日なら一日を教えのね、例えば朝の御祈念に頂いたその一言を貫く。元旦に頂いた事を貫く、例えば一月間貫かせて頂いたというところに、初めて今日もおかげを頂いて有り難かったということになるんではないでしょうかね。この月もおかげ頂いて、おかげで大変な難しい月でございましたけれどもね、おかげであれもおかげになり、これもおかげになってまいりました。
 それを例えばその印を見せて下さるようにです。普通でそんな事があろうはずがないのに、二番の合楽行きがです一番を追い越して。例えば合楽に到着したという時に、その実感がいよいよ強うなったというふうに、野口さんが御礼を言うて居られますようにです。その実感がそして明日のいわば二月一日に持って行かれる信心ね、そう言う信心をお互いに頂いて、今日の朝の御理解のですね。
 まぁ結論としてですね、こういう信心をわからせて頂くということね。一日をですね大晦日の気持ちで、大晦日の気持ちで今日もおかげ頂いて有り難う御座いましたと言えれるようになったら、もう後戻りせんですむ、いわば日に日に新とおっしゃる、朝を新な元日の気持ちで迎える事が出来るようになるまでが、信心辛抱だと言う意味の事を教えて頂きましたですね。その事なんです。
   どうぞ。